2005年 元日

午前零時のミュンヘンは、例年と同じく花火の閃光と、爆竹の音、火薬の匂いで包まれました。夜には静かにすることが法律で決められているこの国で、真夜中に騒音を立てることが、認められている、唯一の無礼講の日であります。ただし、人が集まる場所では酔っ払いが多く、打ち上げ花火を水平に発射したり、ビールの空き瓶を投げたりする輩がいてちょっと危ないので、自宅の窓からミュンヘンの夜空を焦がす花火を見ました。

ミュンヘンの目抜き通りの一つであるレオポルド・シュトラーセは、大晦日の夜には花火のために車が通行止めになりますが、夜が明けるとガラス瓶の破片がびっしりと散らばっているということです。

ただしドイツ人観光客約1000人がインド洋の大津波で行方不明になっていることから、新春のめでたさも半分くらいのようで、昨日ジョギングをしたニュンフェンブルグ城では、犠牲者に哀悼の意を表わすために、ドイツの国旗に黒い布がかけられていました。

私は元日から、1月締め切りの原稿を書いて日本に送りました。3日から会社の仕事ですが、ドイツの町は1月10日頃まで半分眠ったようになっております。

2005年が皆様にとりまして良い年となりますことを、お祈り申し上げます。